LIFEストーリー#2 “JIZAI〜自在〜”に生きる社会へ
ヘルスケア・ビジネスプロデューサー遠藤のこれまでの歩みを紹介するLIFEストーリー#2。
#2は、私が大切にしているコンセプトワード「JIZAI〜自在〜」についてご紹介します。
「JIZAI」は、私の生い立ちにも関わる言葉でもあり、起業を決めたときから掲げている言葉でもあります。
#1で紹介しましたが、私は就職して実家を出るまでは母方の祖父母と同居をしていました。
祖父母との時間が、私の人生やキャリア選択に大きな影響を与えています。
祖父と一緒の暮らしは、正確には私が高校に入る頃まででした。
私が小学生の頃から祖父には痴呆の症状が現れ始め、また頑固だったことも重なり、日に日に手がかかるようになり…。
そうなると当然、祖母と母親も祖父との関わり方についていがみ合うようになり、さらに妹も高校受験を控える中で家庭環境が荒れたストレスから反発。頭では皆“仕方のないこと”とわかっていながらも、平穏な暮らしの崩壊に拍車がかかっていきました。
私が高校に入って間も無く祖父を家で面倒を見ることができなくなり、やむなく専門の病院に入院させることに。入院から3ヶ月後には、すでに私のことはわからなくなっていました。数年後に祖父が他界したときよりも、自分が認識されなくなったときのショックや悲しみの方が大きかったことを今でも思い出します。
一方で祖母は両膝に痛みを抱えていたため、順に人工関節を入れる手術を受けていました。リハビリも懸命に行なっていたため、最期まで自分の脚で動くことはできていましたが、生活の中での不自由さを拭い去ることはできませんでした。元々アクティブな女性でしたが、祖父と一緒に暮らさなくなったこともあり、遠出することもほどんどなかったと記憶しています。
祖父にしても、祖母にしても、人生最期の約10年を“不自由さ”とともに過ごした人生であったことは認めざるを得ません。
若い頃からの苦労もあったと思います。決して裕福ではなかったので、カラダを酷使して働いたとも聞いています。致し方なかったのかもしれません。でも、それによって失われた時間やお金はもちろん、家族の幸せや豊かな関わり合いの大きさは計り知れません。さらに降りかかった負担やストレスは本人だけでなく、家族や友人にも影響を与えました。
母は未だに祖父母との過ごし方については後悔を持っています。それを知る私自身も辛さがあります。
“健康”は状態であり、手段です。
私が「JIZAI〜自在〜」という言葉に込めたのは、
『自分の意思に基づき、自分のカラダを思い通りに動かせることによって、やりたいことをやり、行きたいところに行き、自分らしく人生を謳歌する』
という想いです。
より多くの人、そしてその家族のために「JIZAI〜自在〜」に生きられるカラダでいてほしい。
「JIZAI」とは健康寿命とも言えます。
生命寿命と健康寿命の乖離は約10年(まさに祖父母の人生です)。
この乖離をゼロにするために貢献することがビジョンでもあり、ミッションでもあります。
オンライン・フィットネス事業の[フィット・リブ]を始めたのも、一言で言うと“身近で手軽な運動機会を提供”し、カラダと向き合う時間を増やして欲しいという理由からでした。
「JIZAI」のカギを握るのは日々の生活行動の積み重ねです。次回の#3では、日々の“健康行動”に対する考え方をお伝えしたいと思います。
<LIFEストーリー一覧>
#3 “We are what we behave.”〜私たちは、行動から作られている〜
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